被爆・戦後80年

「自分がその当事者だったらと考えることで、より深くその当時のことを知ることに繋がる」、3地域で開催された大学生協の平和活動Peace Now! 2025 実行委員インタビュー3

戸田:今年度のPeace Now! Nagasakiの取り組みについてお聞かせください。

漆崎:長崎では実行委員で3つのテーマを設定しました。一つ目は長崎だからこそ知ることが出来る事を肌で感じて学ぶ、二つ目は被曝80年の今しか聞けない原爆被害者の生の声や平和についてインプットする、三つ目は戦争・平和の現状を自分ごととして受け止め意見を語り合う、というものです。特に、長崎の現地の方との交流を大事にする事を参加者に伝えていました。

全体の行程としては、1日目と2日目にフィールドワーク、3日目に2日間通して学んだことや感じたことを参加者同士でアウトプットし合うという流れで行いました。

1日目のフィールドワークでは、長崎は残されている遺構の数が多いため、それらを見に行く時間をしっかり長めに取っていました。

実際に現地に行く前に、参加者の皆様に向けて事前学習会をしていたので、そこで長崎の時代背景、例えばキリスト教との関わりがあったこと、戦争体制に入っていった背景などについて伝えていました。現地では事前知識を持った上で原爆資料館や平和記念像を見て周りました。

2日目の被爆体験者講和では、八木美智子さんから講話をいただきました。内容は、その当時を知る人だからこその、空襲警報があって解除されて安心だと思って生活していたら原子爆弾が投下されたこと、学校の話など、その当時子供だった八木さん自身の経験を話していただきました。

私から八木さんに質問をした際には「皆さんと一緒に平和な世の中を作ってもらいたい」と答えていただき、それを聞いた参加者の皆様には勇気を与えられたと思っています。

また、その次のフィールドワークでは、原爆資料館を見学する中で、資料館の中で出てくる実際の人物の展示を見て「もし自分がこの人だったらどう思うか」と想像をしながら記入していただくワークシートを配布しました。

このようなワークを行ったのは、事前の実行委員会の会議の中で「今生きている我々からすると、当時の人たちのことは遠い存在に感じてしまう」という意見が出たからです。

もし自分がこの人だったらどう思うか、自分はどう思っているか。「語り直す」のテーマに合わせて、自分がどんなことを伝えていきたいか、といった内容もここで書いていただきました。

続いて長崎で特筆すべき企画を紹介したいと思いますが、長崎では「平和に関する歌」をテーマに話し合いました。

今回選んだのは、長崎県長崎市の出身の福山雅治さんの「クスノキ」という曲です。今年「長崎―閃光の影で―」という映画でも取り上げられています。 その歌詞に込められた意味、どういう思いで歌にしたのか、歌はどのように次世代に語り継がれていくのか、ということを参加者同士で考え、深め合いました。

また続いても長崎ならではの企画になりますが、長崎市には「長崎人権平和資料館」という、戦争責任・加害責任を訴え、追求する施設があります。

中にはかなりショッキングな写真もあるため、フィールドワークでは希望した班のみが訪れました。ここでは戦時下で朝鮮人や中国人に行ってきた加害など、いろいろな側面から戦争というものがいかに人々の生活を奪ってきたか、人権がどうあるべきかを学びました。また、開催後に行った参加者のアンケートでは、自分たちが受けてきた教育ではなぜ加害面をあまり知ることができなかったのかと疑問を持った、こういった側面も知っていかないといけないと思った、というような感想をいただいています。

長崎では最後に、「World Debate!」という企画を行ないました。グループごとに、日本・アメリカ・フランス・ブラジル…と分かれ、その国の立場になって「核兵器の保有を賛成するか反対するか」を議論していただきました。

「核兵器をなくすべきだ」というのは参加者自身がリスナーとして学んで来た中で思っていることだと思いますが、でも実際に核兵器を持っている国、認めてる国がある中で、なぜ保有しているのか、認めているのかを、その国の立場になって考えていただきました。

戸田:フィールドワーク中に行われた、「自分がこの人だったらどう思うか」を考える企画について、実施した理由をぜひもう少し深くお教えください。

漆崎:この平和学習の中で、長崎という土地を「原爆投下があった町」とだけ、そういった一面だけで捉えて欲しくないというのがありました。やはり当時の戦時下の生活、日常の生活があった中で、8月9日がやってきて、その後の復興と、長崎市が平和を訴える市になることに繋がったという、その歴史の過程を見て欲しいと思い企画しました。

そして、当時生活した人の思いに、ちゃんと自分たち自身が寄り添いたいという思いがありました。

実は、実施前はやってもらうのは難しいか、とも思っていましたが、実際の参加者のシートを見ていただきたいです。

この方は、遺体が焼かれていく現場を見た、当時小学4年生の下平さんを取り上げ、もし自分がこの方だったらと考えて書いています。経験したことがないことは、普通だったら想像できないとは思うのですけども、だからこそ、心を強く持って、悲しみながらも前を向いて生きていこうとするところに感動したと感想を書かれています。

その事実だけを知り、そういう人がいたのだなで終わってしまうのではなく、自分がその当事者だったらと考えることで、より深くその当時のことを知ることに繋がったのではないかと思っています。

戸田:先人たちが作ってきた「歌」に注目し、ワークを行っていましたが、歌に注目された背景をお聞かせください。

漆崎:自分自身はまさか歌を使うとは思っていなかったのですが、この企画を担当した方が吹奏楽をされていたこともあり、テーマである「語りなおす」をどう具現化できるか考えた時に、歌をテーマとするところに辿り着きました。

戸田:同じく3日目の企画で、加害責任を追及する施設「長崎人権平和資料館」が出てきましたが、その施設に行くと決めた背景があればお聞かせください。

漆崎:施設の内容はショッキングなものも多いため、正直なところ、フィールドワークの行程に入れるかどうかは迷っていました。ですが、平和を考える時に、広島と長崎、沖縄は、それぞれ訴える内容が違うと思ったため、複数ある選択肢の一つとして入れました。

特に、同じ原爆の被害を受けた広島と長崎でも違う部分があり、その一つがこの加害責任を訴えることだと思っています。

長崎は、外国人との関わりがとても強い都市でした。歴史的にも、元々朝鮮半島や中国から多くの人が来て交流をしていたという背景があります。単に原子爆弾の被害が、太平洋戦争があったから平和を大事にしたいというだけではなく、外国人との関わりが多いという歴史を持つ長崎がどう訴えているのかを参加者にしっかり感じて欲しいと思っていました。

それが顕著に現われている場所の一つが、この長崎人権平和資料館だと思いますし、この施設の中では、日本の戦争責任を訴えるべきだという主張もあり、そこもしっかりと参加者に感じて欲しいという想いもありました。

全員が周るルートにはしませんでしたが、そういった部分もしっかり見たいという希望者には資料館をルートに組み込んで行っていただきました。

ですが、それだけでは一部の人が見て終わりになってしまうので、3日目の企画内で加害責任について話す時間を設けて、実際に行った人から自分の感じたことを語っていただきました。

戸田:最後に、核兵器の保有について、賛成・反対を参加者が考えるワークがありましたが、実際にどういった意見が出たのでしょうか。

漆崎:この3日間を通して見ると、歴史を知る・考える時間が多く、これからを生きる私たちが「今起きていること」に問題意識を持つことがまだできていないと感じ、実施しました。

紛争や核兵器の現状を一方的に伝えて終わりになってしまわないよう、参加者同士の対話、語り合うことを大事にしたかったため、ディベートという形式にしました。

最初に班に担当する国が割り当てられ、その国の資料を渡し、その国がなぜ賛成するのか、反対しているのかの概要を知ってから、それを元にパソコンやスマートフォンを使って自身でも調べていただきながらワークを進めました。

それぞれの考えを班でまとめていただいてからディベートを開始し、例えば日本の担当班は「過去に被害を受けたが、アメリカの核の傘に入っている。核兵器は世界の秩序を保つためにあるべきだと思う」と訴え、それに対してオーストラリアなどの核兵器を認めていない国を担当する班が、「日本は世界で唯一原爆被害を知っている国なのに、何故反対しないのか」と意見を述べる、のような意見を返し、それに対して更に日本の担当班は1〜2分で内容をまとめ、日本としての回答を出してもらう、というように進めました。

実際に参加者からは「普段は核兵器保有について、ニュースなどにも触れる機会があまりなく、そんなに考えたこともなかった。考えさせられました」という感想をいただきました。実はこの企画は昨年も実施していますので、今後も長崎では、意見をぶつけ合うような企画をできたらいいなと考えています。